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二神島 歴史・旧跡|自然・公園

二神島(ふたがみじま)

日本古来の美しさを多く残したパラダイスの島

二神島は山口・広島の両県境に接しており、由利島・小市島・中島・横島・鴨背島などの無人島が周囲にあります。
昭和47年(1972)に世界的権威をもつ地理雑誌「ナショナル・ジオグラフィックマガジン5月号」に掲載され、「近代化されず、日本古来の美しさを多く残したパラダイスの島」として26ページにわたり紹介されました。北側の中央よりやや左寄りの入り江にある集落は、現在も当時のたたずまいを色濃く残しています。まるで時間が止まったかのような「昔ながら」の心地良さ、自然と共存していいるかのごとく、日本古来の生活が息づいています。

中島地区屈指の好漁場である二神島の周囲ではタイやタコの水揚げ、他にはイカナゴ漁や一本釣など多様な種類の漁業と、急傾斜地をのぞき柑橘園が島内を占める農業の島として半農半漁の生活を営んでいます。漁期を終えたタコ壺が漁港に山積みされており、かつてよりタコ壺漁が盛んであることが伺え、また特徴的な漁港景観を形成しています。

また古くから伝わる伝統や文化が色濃く残り、島人により大切に守り続けれています。興居島の船踊りが伝わったと言われる秋祭り「二神祭り」は、船の前後に剣櫂(けんがい)を持った青年が立ち、梵天を持った少年たちが長襦袢にタスキ掛け、鉢巻姿で伊勢音頭に合わせて踊ります。10数年休止となっていましたが2015年久々に復活し、かつてのように海上で行われています。
二神家に蔵する古文書「二神家文書」は、風早地方の豪族とした勢力を誇っていた二神氏が、伊予の国の大領主河野氏より授与された安堵状・親任状などが記載されています。当時の歴史を知る貴重な資料として、有形文化財に指定されました。

島内には県の天然記念物に指定された「ビャクシン自生地」や、樹齢130年も越える高さ5mにも及ぶ「大サボテン」など、ここでしか見られない珍しい物があります。そして航海の安全と豊年豊漁を授かる神様が祀られている「妙見神社」は、現在でも女人禁制でありその歴史を感じます。他には日本を代表する篆刻家である梨岡素岳の漢詩碑や、瀬戸内では少ない丸石の浜がある「アラレガ浜」があります。また海岸線からは由利島や怒和島などの多くの島々を望むことができます。

円錐形をした安山岩の並んだ2山に神が祀られており、この山が船人の目印になる所から、「二神山」と呼ばれたのではないかと言われています。
中世に記された『忽那嶋開発記』によれば、藤原道長の後裔親賢がこの地に配流され、その子である親朝が寛治年間(1087~94)に忽那諸島を開発したとされています。その後、山口県豊田郷から豊田(二神)種家が島に入り、水軍の根拠地としての存在が記されています。忽那氏や村上氏と共に河野氏の配下として二神氏は活躍し、天正13年(1585)河野氏の滅亡後は、畑作や海運業で栄える島として歴史を刻んでいきます。安養寺の裏山には600年にわたる二神家代々の墓が残っており、貴重な歴史資料として考古学的調査研究の対象とされいます。
広島や山口の島と近い距離にあるものの、文化や島人の特性など愛媛県の色が濃く、強い積極性で生活を切り開いてきたという歴史があります。

二神島は、かつて由利島と深い関わりがありました。もともとイワシ漁で賑わい、またよく作物が育つ資源豊かな島で、二神島から渡る人が多かったようです。戦争中に海軍の基地としての役割や食糧増産の地として開拓が進められた由利島ですが、今では完全な無人島になり長屋や井戸・風呂などの跡が残っています。

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