
忽那諸島の最大の島・中島は、”柑橘の花香る島”として全国的にも有数の柑橘産地として知られています。瀬戸内特有の温暖寡雨な気候は「この島で作れない柑橘はない」といわれる程であり、温州みかんをはじめ伊予柑・カラマンダリン・紅まどんな・せとかといった様々な品種が栽培されています。また近年では、玉ねぎやレモンなどの生産にも取り組み、鯛・メバルなど海の幸にも恵まれ、旬の山海の幸をいただくことができる宿泊施設も数件あります。
夏の風物詩である「トライアスロン中島大会」では、鉄人達の熱い戦いが繰り広げられ、島をあげての大イベントでもあります。また白浜広がる美しいビーチで海水浴や魚釣りや地元のべにふうき紅茶作り体験、近年ではサイクリングに力を入れており、1年中何かしら楽しめる場所として多くの人が訪れます。
忽那水軍 黒岩城跡
黒岩城跡に登り大浦港を望む
11世紀の頃、藤原道長の後裔親賢(こうえいちかかた)が島に配流されたのが、忽那水軍(くつなすいぐん)の始まりとされています。そして鎌倉幕府の御家人や忽那島地頭職に補せられるなか勢力を伸ばして、その際に城郭や要塞を各地域に設けました。その後、皇統が南朝と北朝で争った分裂抗争では、忽那重清は北朝方に、忽那義範は懐良親王(かねよししんのう)の南朝方に組みし、忽那氏もふた手に分かれて戦いました。最終的には北朝の後小松天皇に譲位して合一が行なわれました。それ以降、忽那氏は河野氏の配下となりましたが、室町時代に河野氏が衰退し、天正15年に小早川氏により滅ぼされました。
その当時を思い偲び、忽那諸島で1番大きく忽那氏が采配を振るったであろう黒岩城跡に、地元のボランティア活動による登山道整備がなされ2014年に登れるようになりました。登り口は、忽那八幡神宮へ向って行くと中ほどで手洗い場があります。その左奥に小さな案内板があり、そこから山に向って登って行くと約15分ほどで頂上へ着きます。登り口からはロープも貼ってあるので迷うことはありません。大きな石垣しか残っていませんが、真正面に松山市を望み、右手に本山城跡(もとやまじょう)が、左手に泰之山城跡(たいのやまじょう)を従えた根城跡からの風景は、かつて忽那氏が見たであろう風景と重なり、歴史の大きなうねりのなかで、人々が脈々と受け継いできた水軍の息吹をみるようです。
| 住所 | 愛媛県松山市小浜185 |
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