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2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。

|イベント

俳人種田山頭火の遺品公開

「一草庵」は種田山頭火の終焉の地であり、護国神社の近く道後温泉にほど近い場所にあります。

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昭和14年10月1日松山に来松、昭和14年12月15日一草庵に入庵した日、昭和15年10月11日命日、この3日間のみ山頭火の遺品3点を公開しています。展示品は、鉄鉢・キセル・煙草入れの3点。

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俳句雑誌「層雲」の載った山頭火の最後の句「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」・・・そこにどんな気持ちを詠ったのか・・・

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一草庵の中には、山頭火倶楽部の方が法要を終えて山頭火のことを語ります。

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山頭火の師である師・井泉水によって書かれた扁額。船の破片で作られたといわれ、今は南側縁側奥にあり玄関先のは複製品です。

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種田山頭火は、新傾向俳句(後に自由律俳句と呼ばれる)の代表的俳人。「季語にとらわれずに自然に詠う」「その中に自己詠う」「五・七・五にとらわれずにリズムに、自由に詠う」それが新傾向俳句の特徴です。波乱万丈の人生を送った種田山頭火。俳句の多くに山頭火の人生が詠われているのではないでしょうか。

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NPO法人まつやま山頭火倶楽部の太田和博氏(左側)と、藤岡照房氏(右側)

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山頭火は愛媛で377日間、松山には約10カ月間この一草庵で過ごしました。一草庵に来た時に山頭火が最初に読んだ句は、「おちついて死ねそうな草枯るる」です。しかし3ヵ月ほど経った時には、「草枯るる」から「おちついて死ねそうな草萌ゆる」に。「ここで私は最後を迎える・・・」を「枯るる」と詠った最初の句が、3ヶ月後に「萌ゆる」と「生きる力」を感じさせる句に変化したのです。そこには、松山が好き・皆さんのもてなしがいい・・・など心の変化があったのではないか・・・そのように語ってくれた山頭火倶楽部の太田さんです。

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藤岡照房氏は、「なぜこの松山を選ばれたのか・・・」昭和3年の托鉢が良かった・温泉が好き・正岡子規を生んだ場所 と語ります。藤岡氏は、藤岡政一氏(山頭火をお世話した方)の息子で実際に山頭火に会われた方です。「山頭火はどんな方でしたか?」の質問に「私にとって3人目のおじいちゃんでした。私はすごい人見知りでしたが、山頭火には懐いたみたいですよ。子どもには何か感じるものがあったのでしょうね。」と言われた藤岡氏は、山頭火を思い出されているような優しいお顔でした。
「風あたたかく坊やの飛行機よう飛ぶ飛ぶ」という句もあります。坊やは「藤岡氏」、飛行機は「竹とんぼ」のことだそうです。「飛行機というから子ども心にわくわくしてたら、竹とんぼやったんよ」と笑いながら言われていました。その時にもらった山頭火の実筆の絵。3月6日は、山頭火の母の命日でもあり、その日に藤岡さんにこれを持ってこられたそうです。

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【一草庵】
場所:愛媛県松山市御幸1-435-1
問い合わせ: 松山市文化財課(史跡整備担当)
TEL:089-948-6891


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