2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
モニターツアーでの広島市内各自自由行動で、食べ巡ってきました♪
そしてここからは、各自自由行動。復路は、16時半~20時半まで1時間ごとにあります。
私たち食べ巡りプロジェクトのメンバーも、自由行動となり私は平和記念公園へと向かいました。
広電電車に乗り中電前で降りて平和記念公園へと向かう途中、平和大橋・西平和大橋を通りました。
欄干はアメリカの著名な彫刻家イサム・ノグチ氏がデザインされたものです。
当時は新奇なデザインも現在では広島の顔として親しまれているそうです。
平和大通りの緑地帯にあるアートワーク「平和の門」です。
この門はフランスの芸術家クララ・アルテール氏と建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモット氏が、被爆60周年となる2005年に世界平和を祈念して制作されました。
高さ9m、幅2.6cmほガラス製で門という万国共通の形に「平和」という文字を49の言語で記しています。
平和記念公園が見えてきました。
嵐の中の母子像は、右手で乳児を抱え左手で幼児を背負おうとしながら前かがみ姿勢で生き抜こうとする母の姿です。
丹下健三氏らの設計による広島平和記念資料館。
原爆死没者慰霊碑より原爆ドームを臨めます。
原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから、屋根の部分がはにわの家型をしています。
手前から左奥に向かって、原爆死没者慰霊碑・平和の池・平和の灯・原爆ドームです。
原爆死没者慰霊碑を囲み、慰霊碑が浮かび上がるように設計された池。幅17m、長さは70mあります。
台座は手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現してます。
この火は、昭和39年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けています。
2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さんのブロンズ像です。
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像があります。
禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。
塔の内部には、湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ風鈴式に音が出るようになっています。
数多くの折り鶴が捧げられていました。
原爆ドームの方へ歩いて行く途中の元安橋の下では、ひろしまリバークルーズの乗り場がありました。
広島県産業奨励館は、大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されてました。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約 600メートルのところです。
爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し天井から火を吹いて全焼。
頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになったそうです。
原爆ドームを後にし、広電電車で原爆ドーム前から土橋まで行きました。
目的は、100年近く続く老舗の手焼きせんべい屋さんです。
しゃもじの形などのせんべいがあり、焼き印や形も様々で見た目も楽しいおせんべいでした。
お土産にしたのは、しゃもじと初音というピーナッツ入りのおせんべいです。とても懐かしい味がしました。
他にもいろんな所を回りたかったのですが、広電電車で立花で下車。というのも線を間違えて、慌てておりて広島本通りを歩きながらお土産を買いました。
広島菜入りどら焼き「どら菜」と「レモンケーキ」です。このどら菜は、広島の高校生とひろしま夢プラザさんのコラボで生まれた商品だそうです。
池田の広島市内自由行動は終わり。
食べ巡りプロジェクトの旅行部門白旗さんは、平和記念公園に一緒に行った後は広島城に行かれたそうです。
広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた平城です。原爆によって倒壊し、昭和33年に外観復元されてます。(写真提供:白旗さん)
広島城から見た広島市内です。(写真提供:白旗さん)
また他の食べ巡りプロジェクトのメンバーは、広島市内でお買いものを楽しんだそうです。
夕焼けが、広島港をより魅力的に感じさせてくれます。
この楽しいツアーも無事に終わりました。
このモニターツアーで、素敵な出会いがありました。
道に迷った私をその店まで案内してくれた二人の女性がいらっしゃいました。
素敵なおもてなしのこころに、私は心が熱くなりました。
私たちプロジェクトは瀬戸内・松山の情報を発信してます。私たちは「おもてなしのこころ」で、一つひとつの情報を大切に発信していきたいと改めて感じました。