2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
「八股榎大明神」に祀られている狸”お袖さん”は、松山市を今もなお見守ってくれてます。
松山市のお堀、ちょうど松山市役所前に赤い鳥居が目に飛び込んできます。
「八股榎大明神」です。
境内手前がお袖大明神、奥が八股榎大明神の神仏習合の祠です。
祠の後ろに御神木の大きな榎。
こちらの祠は、榎の大木に住み人助けをしていた狸「お袖」を祀った神社です。
天保元年(1830年)頃、かつて勝山城(今の松山城)の森にすんでいた狸”お袖”が、古い榎が茂っている八股を見つけてそこに住み着きました。
お袖は榎の木の上から通行人を見るのが好きでした。お袖には、新動力があり様々な人を助け、人々は狸の好物・赤飯・あぶらあげなどお供えするようになりました。
そして今度はそのお供えを、お姫様に化けて困っている家に配ったりしました。人々から尊敬され、町の流行神として話題になったそうです。
またこのようなエピソードもあります。
大正時代、元松山市長で産婦人科医の安井雅一氏は、お袖狸にお産の世話をさせたそうです。
昭和11年、掘りの一部が埋め立てることになり榎の木も切り倒される事になったのですが、工事関係者が病気や怪我など原因不明の被害が出始めたのです。
神通力を持つお袖の祟りだということになり、工事は一時中断。狸信者に依頼し、石井の天山にある喜福寺へ榎の木を移転させることにしました。
それからは被害もでることなく無事に工事は終わりました。
祠が置かれていた榎の大木は、上一万の常楽寺境内の六角堂に合祀されました。この堂には現在も八股榎大明神が祀られています。
後に別の榎の下に祠が建てられました。
その榎も昭和9年に石井村の喜福寺に移植されましが、古木のためその後間もなく枯れてしまったようです。
直後に大井村の大井駅で一人の女学生が降車し、それがお袖狸の化身ではないかと噂になりました。
小西村の山奥の明堂という小さな堂に移り住んだということにされ、一時的にそこへの参詣者が増加しました。
昭和20年代に生えた榎の木に棲みついたとされ、20年代後半から30年代に八股榎大明神として祀られています。
安産・縁結び・商売繁盛・家内安全・学業成就・交通安全など多くの願いを叶えると評判です。
お袖狸は松山の人々にとって大切な神様なのですね。
立地条件のため境内の構造も独特で、参道は小さな四角形を描き境内を巡ります。
右側の細い道から境内へ入ります。
赤い鳥居の列。なんだか神秘的です。
石段を下ると、拝殿と大榎が並びます。
境内の狸を祭った祠。
祠の奥の中央にある狸「お袖」の像。
祠からの眺めです。ちょうど坊っちゃん列車が走ってました。
お袖の祠は安産等のご利益が、眷属の祠は仕事運などのご利益があるらしいです。
伊予の国には、狸伝説が沢山あるんですよ。狸伝説を追ってみるのも面白いかもしれませんね。
【八股榎大明神】
住所:愛媛県松山市二番町4丁目
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