2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
松山市内を「伊佐庭如矢号」が巡った1日
松山市内を走る伊予鉄道。その市内電車の1両が「伊佐庭如矢号」として、9月6日に道後温泉駅—松山市駅間をノンストップで1日無料運行した。
伊佐庭如矢の命日9月4日と12日の誕生日の間である土曜日の6日に運行することになり、当日は8時50分から第1便が出発した。定員80人、1時間に1往復で計10往復し、延べ1000人が乗車するなど人気を集めた。
車体には伊佐庭如矢のパネル、車内にはモニター(約3分)で伊佐庭如矢顕彰ビデオの上映や観光ボランティアによる語りなどが行われた。また乗客には記念として、明治期のデザインを模した記念乗車証を渡した。
同日、その出発式が道後温泉駅前にて開催され、関係者や地元の人などにより幕を開けた。
松山市の野志市長は、加藤恵一著「道後の夜明けー伊佐庭翁ものがたりー」(2011年)で伊佐庭如矢をより深く知る。「松山市の発展に貢献した伊佐庭如矢を、多くの人に知ってほしい。」と、想いを話した。
また関係者からは夏目漱石の「坊っちゃん」で伊予鉄道が出てきており、道後温泉改築や文学にも寄与した伊佐庭如矢を多くの方が知り、道後そして松山市の活性化に繋がる事を願うと話されていた。
「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」というのは、有名な1節である。
近くの道後公園では地元の野菜・飲食物や手作り雑貨などが立ち並ぶ湯築市が開催され、多くの方が訪れ賑わった。湯築市は2009年ごろから始まり年に6回開催、道後の名物イベントになっている。
湯築市レポート:http://ritoumeguri.com/6902/
明治16年ごろに山奥から木材を三津港経由で神戸鉄道局に搬出する手段として松山に鉄道敷設という発想にとなり、明治21年に日本初の軽便鉄道として開通・営業開始した伊予鉄道。当時は現在の松山市駅から三津までの約4kmが開業となった。伊佐庭如矢が道後鉄道株式会社を設立したのは明治33年であり、道後温泉地への観光客の誘致を目的とし道後と一番町や三津口(現・古町駅付近)を結んだ。そのような功績を残した伊佐庭如矢をたたえ、伊佐庭如矢顕彰事業実行委員会が道後温泉本館改築120年に合わせて企画した。
伊予鉄道株式会社HP:http://www.iyotetsu.co.jp/
伊佐庭如矢は、明治22年の市町村制実施により道後湯之町が発足した時、伊佐庭如矢が初代町長になる。「この道後温泉が100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味ある。人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる」と老朽化が進んでいた道後温泉改築を行った。
瀬戸内・松山の道後温泉情報:http://ritoumeguri.com/charm/dogo/