2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
四国霊場第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺
一の門から緑に覆われた自然豊かな参道が、小高い山に向かって続く第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺。
昔の面影を残す遍路宿が並ぶ長い参道を行くと、やがて石段が見えてくる。その石段を登ると堂々たる山門、その正面に壮大な佇まいの本堂があります。
開祖の真野長者が、本堂を一夜にして建てたという太山寺。
586年の頃、豊後の国の真野長者が商いで津の国浪速(大阪)に船で向かうとき、松山市高浜あたりで大嵐にあいます。日頃より信仰していた観音さまに無事を祈願すると、山の頂より一筋の光明が輝き海を照らし無事に危難を逃れました。高浜の岸についた一同は、光明の輝いた山に登ると小さな草堂に一寸八分の十一面の観音様が鎮座。報恩謝徳のため長者は国の臼杵に戻り多くの工匠を集め、間口66尺・奥行81尺の本堂の切り組みに取りかかります。総ての木組みを整え高浜に向かい、1日にして一大御堂は建てられました。このようなことから「一夜建立の御堂」として呼ばれ、これが太山寺の始まりです。
現本堂は1305年に再建され、和様式・唐様式・天竺様式という折衷様であり鎌倉時代の力強い作風を示す代表作。なかでも本殿軒下の本蟇股(ほんかえるまた)は、技術の高さが伺えます。現本堂は創建から3度目であるが、真言密教における最大規模を誇る雄大な建築として国宝に指定されています。
733年に聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩が十一面観音像を刻んで本尊とし、続いて孝謙天皇・後冷泉天皇など代々天皇が十一面観音像を奉納、国指定重要文化財として本堂内陣中殿に安置されています。現在より少し離れた寺谷の地に本堂はあり、広大な寺域に壮大な七堂伽藍がそびえたつ大寺院として栄えました。天長年間(824〜834)に弘法大師が法相宗から真言宗に改宗し、四国霊場の札所となります。
本堂左に、真野長者を祀る長者堂と大師堂が並びます。真野長者伝説の和讃(和語を用いて仏の利得を誉め称える讃歌)によると、幼少の頃は炭焼きの小五郎と呼ばれていました。顔全体に黒いあざがある玉津姫が都にいましたが、神のお告げに従い豊後に住む小五郎の許へ行き夫婦になります。あることから手に入れた黄金で富を得て、多くの貢仏を天皇に献上し欽明天皇より「長者」の号を賜り、「真野の長者」と呼ばれます。子どもの般若姫は都より忍びで来ていた後の用明天皇と結婚し女の子を授かりますが、長者夫婦の跡継ぎとして残し般若姫は都に戻る途中(山口県)病で死にます。真野長者は太山寺(伊予)や般若寺(周防)など多くの寺院を建立し、推古天皇14年97歳でこの世を去ります。
太山寺では、4月第3日曜日に真野長者の福徳を授かる春の大祭を催します。
本堂右手に、護摩堂・稲荷堂・聖徳太子堂など数多くの堂が並びます。
聖徳太子堂には、聖徳太子が伊予に来られ太山寺と縁を結んだといわれ、法隆寺の夢殿にある太子像と同じ像が安置されています。1月15日には太子祭が開催され、「願いをすくい取って頂き、幸せはすくい取ろう」という願いを込めて“おしゃもじ”を奉納し、聖徳太子の聡明さにあやかろうとお参りが多いです。
山門の右には、曲線の美しい袴腰の鐘楼堂があります。1655年再建され、中には1383年の銘入り梵鐘があり県の指定文化財です。壁面に描かれた地獄・極楽絵図は、右は叫喚・灼熱などの地獄、左は慈悲に満ちた極楽、中央に閻魔大王の裁きを受ける人々と美しくも恐ろしい六道に圧倒されます。六道とは仏教の世界観であり、天上・人間・修羅・畜生・飢餓・地獄道です。
山門の下にある「ひきさき地蔵」は、かつて古三津も和気浜も見える峠にいた地蔵です。その昔、太山寺の茶屋にいた美しい娘をめぐり、古三津の相撲取りと和気浜の力じまんの2人が娘を引っ張り合った末に死なせてしまったという伝説があります。その娘の魂を慰めるために、村人が地蔵を作ったと言われています。
広大な境内には、「オン・アロリキャ・ソワカ」と唱えながら3回まわると西国三十三観音の霊場を巡ったのと同じ御利益が頂け、霊場を巡拝出来る丈夫な足になると言われる「健足石」、遠くまで運べるかを競い合った「力くらべの亀の石」、太山寺本坊向かいにある眼病平癒を願う「一畑薬師堂」など数多くのお堂や建造物などがあります。また長者堂の奥の裏山を通り海に至る裏参道の山道には、1848年に開かれた西国三十三観音の石仏が並んでいます。
中興32代の吉川俊宏(しゅんこう)さんは、薬師寺・福泉寺を経て1992年に太山寺住職に、また2012年から四国八十八ヶ所霊場会の会長をされています。
静寂な山懐にある太山寺が醸し出す雰囲気は、その歴史を語ります。それを引き継ぎ、心おだやかに参ることができる場所を守ってきたのです。悩み・苦しみなど、様々なものを背負い人は生きています。それは病気や不慮のことなど、思いがけない出来事もあります。そして何とかしようと努力し願い、解決への道へと繋がるのです。その願いを求め人は寺を参り、心が穏やかになり安心を得るのでしょう。
お遍路もまた同じでしょう。悩み苦しみから何かを求め、遍路へと旅立つのです。お遍路というのは修行であり、お大師様と一緒という同行二人なのです。しかし時代と共に、目的や様式が変わってきているようです。50〜千人という「講」で参っていた姿は少なくなり、個人や数十人ほどの団体が多くなっています。また歩き遍路の場合は時間と費用がかかり、車やバスで回る人が増えています。しかしそこに大切なのは、気持ちなのです。何かしら遍路を通し得たもの、それが大切なのだと言われていました。
四国八十八ヶ所霊場会の会長である俊宏さんは、世界遺産登録を目指します。そこには開創1200年というその歴史は引き継がれ、それと同時に引き継ぐものなのであるという想いなのでしょう。
偉大な自然のように人もまた天地自然の一部であり、自然の力で生きているのです。悩みや不平不満など大なり小なり人は抱えていますが、自然の「命」を感じ感謝の気持ちを持つことが大切だと、俊宏さんは話しました。静かで長く続く参道は、いつの間にか心が穏やかにし雄大な本堂へと導く・・・それが太山寺の風情であり、人を魅了するのでしょう。
四国霊場第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺
住所:愛媛県松山市太山寺町1730
TEL:089-978-0329
駐車場:無料(普通50台・大型5台※普通車がない場合)
宿坊:無
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観世音菩薩
開基:真野長者
創建:六世紀後半
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか