2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
お遍路1200年の路、引き継がれる
四国霊場開創1200年記念大法要が、香川県の第75番札所 総本山善通寺で2014年5月9日に盛大に執り行われた。今回50年ぶりの大法要には、四国八十八ヶ所の全札所から約3,000人が参列した。
2014年の今年、弘法大師・空海が八十八ヶ所霊場を開創して1,200年を迎える。今回の大法要や昨年から行われている記念事業など、四国八十八ヶ所霊場会が主催する。
記念事業の一貫として「お大師さまと歩む四国遍路」が、2013年2月4日から行われた。「お大師さまと歩む四国遍路」は、同行二人のシンボルとして「木像の弘法大師像」を交代で背負い、青年僧侶・先達らが延べ約130人が遍路路1400kmを歩いた。9日の朝、第74番札所 甲山寺を出発した約200人の僧侶と先達らが善通寺に到着し結願を果たした。(※写真提供:四国八十八ヶ所霊場)
その事業を手がけられたのが、愛媛県松山市 47番札所 熊野山妙見院 八坂寺の善教さんらである。青年僧侶と先達らが延べ130人、月2回の全24回に渡り行われた。仏教の教えを心の中で練り上げていく「徒歩練行」は、ただ歩くのではなく修行なのである。事業の始まりの当初は話のはずむ中でのスタートとなるが、そのうちただ無心に歩くようになりその列は乱れることなく進んだ。その姿は見る人のこころに響き、訴えるものがあったという。同行二人の「木像の弘法大師」や護摩木などを交代で背負って歩いていく。「先達さんにお遍路のこころを再認識してほしい」その善教さんらの想いは、幾度か繰り返される中で先達に伝わったという。僧侶の姿をもって伝えていく、教化である。(※写真提供:四国八十八ヶ所霊場)
酷寒猛暑を克服して、ただひたすら歩く・・・それもまた修行なのであろう。四季の移ろいや自然の力を感じ、それがまた人を育てていく。その中で触れ合う人の温もりは、おそらく言葉にできない温かいものなのであろう。人は1人ではなく、支え合って生きている・・・お遍路を通し何を得るかは人それぞれであろうが、今回の事業を通し心に変化があった先達が数多くいたのも事実である。(※写真提供:四国八十八ヶ所霊場)
善通寺に到着した木像の弘法大師像は善通寺の金銅前に置かれ、ご利益を頂こうとお遍路さんや参拝者などが手を合わせたり像を撫ぜたりする様子が見られた。木像の弘法大師像は、重さ約10kg高さ約30cmあり今回新たに造られている。
四国霊場八十八ヶ寺の住職らが金銅前より御影堂へと移動し、御影堂前では5色の「散華」がまかれた。参拝者らは御利益を授かろうと、懸命に手を伸ばしていた。愛媛新義真言宗豊山派青年部よる奉納太鼓は、厳かな中にも迫力があり心に響くものがあった。
散華とは、仏を供養するために「華」を散布することである。元々は蓮などの生花を使用していたが、現在は蓮の形を模った色紙を使うことが多い。
御影堂に弘法大師像を迎え入れると、八十八ヶ寺の住職らや先達など約1,000人以上が般若心境を一斉に唱えた。大法要は厳かな中で営まれた。
この後、境内で護摩木に願いを託す「柴燈護摩」が執り行われた。願いが描かれた約1万本の護摩木が次々とくべられ、炎が高々と上がっていた。
護摩の火は不動明王の智慧を象徴し、護摩木は煩悩を表している。柴燈護摩とは、むさぼり・いかり・おろかさという心の迷いによる煩悩を不動明王の智慧の炎で焼きつくして、清浄な願いとして高まり成就することを祈ることである。
四国八十八ヶ所霊場会の吉川俊宏会長は、「お参りできたことを『おかげさま』と思うことが、心を癒やして豊かにしていく。これからも末永く四国遍路を守っていきましょう。」と挨拶をし、また「四国遍路が、世界遺産登録になれば・・・」と話されていた。
四国霊場開創1200年の記念事業として、仏像の特別公開などをしている。愛媛では、2014年9月6日(土)〜10月13日(月)まで愛媛県美術館にて「空海の足音 四国へんろ展」が行われる。
第75番札所 五岳山 善通寺は、弘法大師の誕生の地として知られる。真言宗善通寺派の総本山で、和歌山高野山・京都東寺とならぶ弘法大師三大霊跡の1つである。境内は広く、東院と西院に分かれている。