2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
瀬戸内しまのわ2014の企画「黒岩城登山から始める忽那水軍歴史の旅」
2014年5月10日(土)、中島本島八幡神宮裏山にある黒岩城跡を訪ねるイベントがあった。「瀬戸内しまのわ2014」のイベントの一貫である。
最初に忽那八幡神社の大宮宮司さんより神木・島・神社の話があり、信仰が今も島の生活の中で息づいている事を知った。
現場で配布された資料には、「忽那八幡神宮の歴史において、島の信仰と歴史が実際の生活の営みの中で脈々と受けつがれてきたこと。そのことは島生活で自然に受け入れられてきた信仰が、日常に溶け込んでいるのである。」(『神社新報 こもれび』第3027号〜第3107号)と書かれてある。
最初に杭の作り方のレクチャーがあり、それぞれのチームに分かれて杭を作っていく。そして神社に向かって進んでいくと、左手に手洗い場のあるところから山に向かって登って行く。そこが、黒岩城へ登る道になっている。
1チーム5名で、「愛大チーム」「松山市役所チーム」「建築土木チーム」「農音チーム」「美女チーム」「おばさんチーム」の6チームにわかれた。使用する杭のほかに普段扱ったことのない掛矢(かけや)・ハンマー・スコップ等をそれぞれ持って、所定の位置まで登っていく。
所定の位置に到着後、先ほど作った杭を打ち込んで、坂道を階段に作り上げていく。それぞれが自分に出来る事で精一杯参加する真摯な姿勢は気持ちの良いもので、自分に郷土・島を思う気持ちの深さに感動すら覚えるのは私だけであろうか。愛大生などの若い男性のチームは急な坂道の条件的に厳しいところの作業になったが、綺麗に完成したばかりの階段を1歩1歩踏みしめて頂上の城跡まで登っていく。今回の杭打ちには審査があり、1番早く綺麗に出来たチームには表彰状が授与される。
今回の杭打ちイベントの優勝者は、農音に決定した。「農音」とは東京から中島に移り住んで農業と音楽をしている若者であり、農音の代表田中氏への賞状の授与があった。
全員で黒岩城跡の登ると、大浦港を中心に見渡せるのがわかる。
この跡地で「忽那水軍の実像」「梓物語」の著者忽那祐三氏の話があった。南北朝時代のその昔、この黒岩城から采配をふるった忽那水軍。その忽那氏が見たであろう風景を体感し、同じ場所で聞く忽那氏の物語はかつての反映を想い偲ばせるだけでなく、過去と現代が1つの時系列で密接につながるような気がした。
今回のイベント・セミナーで使用する教材を忽那氏が作って来られたので、それを見ながら話を聞くことができた。この冊子は、「忽那水軍歴史探訪・黒岩城ボランティアガイド教材 難攻不落 忽那水軍の居城『黒岩城』」というもので、A5サイズの8ページ。
「■城の形状による時代考察 ■忽那水軍が最初に築いた城 ■宗教上から時代を考察 なぜ此処に神社が設けられたのか ■古文書史料による黒岩城の考察 ■黒岩城を攻める ■黒岩城廃城 ■忽那水軍とは」までの忽那水軍と黒岩城との関わりをまとめたものだ。
後半は、港前の公園に移動して昼食とライブで時間を過ごす。
最初に頂く水軍カレーは、カレーに島の名物「坊っちゃん島あわび」のソテーがまるまる1個のったもので、1人前500円。ライスのバターライスで、スパイスのきいたカレーとやさしく濃厚なバターライスは口の中より豊かなメニューになる。さらに「坊っちゃん島あわび」の濃厚で深い味わいが加わることで、島でしか味わえないスペシャルなカレーへと変身するのである。
農音の生ライブを聞く。こういう若い人の力は、とても大きく元気をもらえるのが嬉しい。
小春日和の島風が心地よい。あたたかくなった太陽の光がからだの隅々にまでいきわたる心地よさは、今の季節しか味わえないもので、これが島時間かも知れない。自由でゆとりを感じ、島生活のおおらかさと優しさを満喫して島と同化してしまう。
最後に、今回のイベントの代表・大森氏の歌う愛媛県旧中島町イメージソング「白いかおりの島へ」が披露されて、本日のイベントは終了した。