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2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。

|文化・歴史

四国霊場第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺

浄瑠璃寺は第45番札所 岩屋寺をあとに、険しい山道を越えたどり着く松山八ヶ寺うち初めの札所です。
疲れた体と心を優しく迎え入れるかのように、眼で感じ、手で触れ、足で踏み、抱っこする・・・体験を通し、体全体で「仏」を感じる寺です。

浄瑠璃寺

和銅元年(708)、伊予国を訪れた行基が仏道を修行する場所を作り、薬師如来像を刻んで安置。薬師如来の浄土が東方浄瑠璃浄土であることから「浄瑠璃寺」となります。その後、弘法大師が修復し四国霊場第46番目の札所にしたと伝えられています。しかし江戸時代中期には山火事により浄瑠璃寺も延焼。70年あまりを経て再建させたのが、地元の庄屋から住職になった尭音(ぎょうおん)です。岩屋寺から松山市内に至る土佐街道に、8つの橋を架けた事で知られています。
浄瑠璃寺の山門左側には、正岡子規が詠んだ「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」の句碑があります。このあたりは遍路の元祖といわれる河野衛門三郎のふる里として知られています。

浄瑠璃寺

石段をあがると、本堂まで一本道の参道の横には多くの木々が迎えてくれます。その中に、樹齢千年を越えるイブキジャクシンがそびえ立ちます。松山市天然記念物に指定、山火事にも耐えており浄瑠璃寺の歴史と共に歩んできました。境内に3本のイブキの大木があり、その木の位置からおそらく本堂は奥にあっただろうと言われています。

浄瑠璃寺

参道には、様々なものがあります。
指の間に張られた水かきで、漏れなくすくうお釈迦様の手「仏手石(ぶっしゅせき)」は、智彗や技能にご利益があるといわれています。仏の両手に手を重ねて祈ります。

浄瑠璃寺

石に刻まれた仏の足跡に自らの足を重ね、健康と交通安全を祈って踏拝する「仏足石」。足のつま先同士が向かうようにするのが一般的でありますが、仏足石に同じ方向で足を重ねる事により仏と一緒になります。

浄瑠璃寺

仏の指紋をなぞることで文筆達成・心身堅固を祈る「仏手華判」は、釈迦の実印です。

浄瑠璃寺

「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と書いてある「説法石」は、お釈迦様が説法・修行されたインド霊鷲山の石。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺

「1.不治の病に患る。2.暴力非行に会う。3.淫酒に耽れる。4.火傷傷をおう。5.水難にあう。6.獣蛇に咬まれる。7.崖から転落する。8.毒呪に中る。9.渇き飢える。」と九の災難を救う「九横封じの石」です。人間に降りかかる九つの不慮の災難(死)を遠ざけるための加持を施した巨石。

浄瑠璃寺

参道の様々な石碑からご利益を頂きながら進むと、本堂にたどり着きます。外陣の壁が取り払われた開放的な作りは、古い禅宗系寺院には多く見られるが松山では珍しいです。
本堂の内陣には、本尊薬師如来や日光菩薩・月光菩薩・十二神将が祀られています。商売繁昌や家内安全の祈りの対象となっています。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺

本堂右隣には大師堂があり、正面奥に座する弘法大師の手から五色線の線が伸びています。弘法大師との「縁」を結ぶ事ができ、「縁結び」のご利益があると言われています。

浄瑠璃寺

また大師堂には、弘法大師の子どもの頃を象った木彫りの「だっこ大師」があります。弘法大師の幼名は、佐伯眞魚(まお)といい、その重みもちょうどその頃の大きさです。実際に抱くと何かを感じる人が多く、涙を流される方もいるそうです。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺の守護神として本堂左側に弁天堂があり、1つだけ願いを叶えてくれるところから「一願弁天」と親しまれています。弁天は古代インドにおける川の神(女性の水神)といわれ、その化身は白蛇とされ、堀の渕に1匹のカエルが掘り刻まれてます。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺

弁天堂の水と同じ隣の「弁天池」は、7月中旬には国内外18種類の花蓮が見事に咲き、蓮を見に訪れる人が多いそうです。泥の中に生まれながら、泥に染まず清らかで美しい花を咲かせる・・・それは私たち人間においても同じです。煩悩や苦しみ(泥)があったとしても、煩悩の泥に染まる事なく美しい心を咲かせる事ができます。反対に泥があるからこそ、蓮はきれいな花を咲かせる事ができるとも言えます。
春には桜、夏は蓮、そして参道の木々、四季折々の美しい景色を織り成す浄瑠璃寺です。

浄瑠璃寺

2013年春、浄瑠璃寺住職の継承法要を迎えた中興22代目岡田融信さんに話を伺いました。
「寺は、檀家やお遍路などによって支えられ成長させて頂いている。その恩返しをし、また受け継いでいくものである。」と語る融信さん。岡田家の長男として幼い頃から住職や老僧の背中を見て育ち、15・6歳の頃には自分の路をはっきり自覚したといいます。そして26歳の時に出家し、41歳で住職になられました。

浄瑠璃寺

2014年は四国霊場開創1200年と大きな節目を迎えました。その事業の一貫として弘法大師尊像を背負い、青年僧侶・公認先達の有志が遍路古道の全行程を踏破する「お大師さまと歩む四国遍路」は、2013年2月4日〜2014年5月9日にかけて行われ、1泊2日の日程で全行程を27回に分けて開催。
2月10日〜11日は46番浄瑠璃寺〜48番西林寺、2月24日〜25日は49番浄土寺〜53番圓明寺の日程で松山でも開催されました。雪の降るとても寒い中、融信さんも参加され80名という参加者の最後尾についたそうです。「ふと後ろを振り返ると、そこは見事に道となっていた。新雪に足を踏み出す先頭者はまさに弘法大師であり、1200年の歴史つまり先達の足跡で今自分がいる最後尾に至っている。これがお遍路さんの路であり、弘法大師が築いた四国遍路なのだと感じた。」そのように話す融信さんは、これまでにない何かをこの時感じられたのでしょう。おそらく住職になられて様々なことがあった1年であり、また1200年を迎えるこの時だからなのかもしれません。
これはこの事業だけではなく、お遍路をした人の多くは何かを感じると言われます。それは人それぞれですが、世俗を離れ、手を合わせ、自然や人と触れ合い・・・こころから何かを感じる事が出来るのかもしれません。

浄瑠璃寺

1200年という歴史の「路」、そして何かに向かって行く「路」、さまざまな「路」があります。
仏教では悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づけせる方法のことを「方便」といいます。結果だけではなく、その過程が1番大事なのだという意味です。決意と勇気をもちその1歩を踏み出す事がすでに始まりであり、“地“を踏み、切り開くことへ繋がっていくのです。
歩き遍路の場合、特にまとまった時間・お金が必要となり、そして健康でなければなりません。「行きたい」と思っても、なかなか行けないのが現状でしょう。様々な事があり遍路体験をされる人もいる中、「ただなんとなく」と思い立った人が増えているといいます。融信さんは、「意味がわからずとも作法から入る事で、もうすでにその人は1歩を踏み出している。きっと遍路をしていく中で心に作用するであろう」と話されていました。

浄瑠璃寺

遍路とは寺と寺を巡って行くのだがそれはあくまでも目的であり、そこには人と人とが巡りあい交わります。険しい場所から降りてきて浄瑠璃寺にたどり着いた時、私たちはどのように迎えるのか・・・そう考えた時に、老僧が作られた実体験をする石碑などが置かれている意味がわかったような感じがしたそうです。「百聞は一見にしかず」のことばの通り体験して感じ、そしてこころで感じる・・・すばらしい宝となるでしょう。

浄瑠璃寺

【四国霊場第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺】
住所:愛媛県松山市浄瑠璃町282
TEL:089-963-0279
駐車場:境内北側10台(無料)
宿坊:無

宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
開基:行基菩薩
創建:和銅元年(708)
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


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