2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」 郷土飯の競演メニューが誕生しました!!
瀬戸内海は特殊で複雑な地形を擁しています。そのため潮の干満の差が非常に大きく、穏やかな海面の表情とは異なって、絶えず強く速い潮が流れています。この速い潮が瀬戸内海の鯛を絶え間なく揉み、引き締まった身に育てます。強い潮は海底の養分を巻き上げてプランクトンの成長を促し、瀬戸内の小魚やエビはこれを存分に食べて育つからおいしいのです。
そんな潮の恵みを堪能できる郷土ごはんを“潮の恵みの郷土飯”と名付けました。
もてなしの松山鮓
グルメでありグルマンであった子規がこよなく愛し、事あるごとに食べていたという松山鮓は、子規にとって郷土料理を代表するものの一つでもあった。
明治25年に大学予備門の学生だった夏目漱石が初めて松山を訪れた際、正岡子規の家で子規の母・八重が作ってくれたものを食べて大いに喜んだというエピソードもある松山鮓。漱石は膝をそろえて一粒もこぼさぬように行儀よく食べたと、後に同席していた高浜虚子が『子規と漱石と私』の中で回想しており、松山中学校の教師として松山に再び訪れた漱石がまず最初に所望した料理が松山鮓だったとも伝えられている。
ハレの日の鯛めし
尾頭付きの鯛は目出たさの象徴でもある。
昔から鯛が豊富に獲れた松山では、新鮮な鯛を丸ごと炊き込んだ鯛めしがよく食べられていた。神功皇后が朝鮮出兵の途中に戦勝を祈願するため松山に立ち寄った際、地元の漁師が鯛めしでもてなして喜ばれたという伝説や、江戸時代に松山藩の若様に鯛めしを献上したという記録が文献に残るなど、松山の鯛めしの起源は古い。 大昔は海水で炊いていたとも言われ、鯛以外の具は一切入らないシンプルなものであった。鯛のうま味を丸ごと余さず堪能する鯛めしは、今も昔も変わらぬ〝松山の郷土の味〞として広く食べられている。
海の男たちのまかない飯
その昔、瀬戸内海の水軍が敵から発見されることを嫌って火を使わずにすむ鯛めしを船上で食べたとも言われている。
新鮮な鯛さえあれば簡単にできて栄養もある活き鯛飯は、美味しい上にさっと食べられることから、忙しい海の男達のまかない飯として親しまれてきた。宇和島を発祥とする愛媛の郷土料理である活き鯛飯は、宇和島鯛飯・南予風鯛飯・ひゅうが飯とも呼ばれている。
卵のまろやかさの絡んだ刺身と炊きたてのご飯の相性は語るまでもない至福の組み合わせだ。
各店の郷土飯特別メニューや詳細は、こちらでご紹介してます。