2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
義士の心を伝承「松山義士祭」
松山義士祭は、12月14日に松山市末広町の興聖寺で開催されます。
地元の学生によるブラスバンドも参加し商店街関係者ら約60人の義士行列が、討ち入り時に義士が身につけた「火事装束」にまねた義士法被・ハチマキ姿で、「エイエイオー!」と声をあげ松山市街地約2kmを練り歩きます。
午後からは法要があり、松山市の野志市長から「松山ゆかりの赤穂義士の墓があること、それは松山市の宝であり『たからみがき』のまちづくりとして松山市もサポートしていきたい。」という言葉がありました。
その他に、赤穂浪士と松山藩との関わりを描いた松山義士祭り実行委員会の手作り紙芝居『赤穂浪士松山藩外伝』が披露。この紙芝居を赤穂市で昨年披露したことをきっかけに、赤穂市との交流が生まれたそうです。
松山義士祭り実行委員会の近藤会長は、「元禄赤穂事件は実際に起きた事件であり、そのことを知らない人が多くなってきている。また上の人を奉り奉公するという武士の気持ち、それは日本人の心であり昔から大切にしてきたものである。そのような忠誠心などが、今では少なくなってきている。この松山義士祭を通し、元禄赤穂事件を知り武士の心を感じてほしい。」という想いでされています。
興聖寺では「義士討ち入りそば」が振る舞われ、参拝者や義士行列に参加された方は供養の心で食します。
赤穂義士(あこうぎし)にちなんで各地で行われる義士祭は、12月14日に発生した元禄赤穂事件に合わせ、その前後で行われることが多いようです。
赤穂義士は明治中期頃までは赤穂浪士と呼ばれており、元赤穂藩士・大石内蔵助良雄を含む47人(46人という説もある)の武士のこと。元禄15(1703)年12月14日深夜に吉良義央(吉良上野介義央)および家人を赤穂義士が殺害した元禄赤穂事件は、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(浅野内匠長矩)が高家肝煎・吉良義央に刃傷に及んだことが事の始まりです。
討ち入りした46士のうち松山藩江戸屋敷にお預けとなったのは10士。そのうちの木村 岡右衛門貞行と大高 源吾忠雄2士の遺髪を、2士の介錯人である宮原久太夫頼安の菩提寺である興聖寺に埋葬しました。
昭和39(1964)年に、木村 岡右衛門貞行と大高 現吾忠雄、宮原久太夫頼安の供養と、地元の発展を願い興聖寺史跡顕彰会が発足。同年12月14日、第1回松山義士祭りを開催しています。
討ち入り前に集結したのが江戸本所のそば屋の2階であり、討ち入り前に食べたと言われています。これにちなんで12月14日の義士祭には、各地で今もそば供養を開催。第1回松山義士祭でも討ち入りそばを振る舞った記憶が残されていて、今でも続いています。
興聖寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、聖徳太子が道後温泉に行啓の際に瑞麟山興聖寺として創建されたとあります。その後は様々な経過を経て、寛永12年末広町に移転し昭和58年に現在の寺院に整いました。
【曹洞宗・高巌山 興聖寺】
住所:愛媛県松山市末広町14-1
電話番号:089-941-4471
【松山義士祭】2013年情報
日程:毎年12月14日
義士行列:行程 興聖寺出発(10時)⇒愛媛銀行末広町支店⇒坊っちゃん広場⇒末広町⇒県立中央病院⇒興聖寺(11時頃)
法要:興聖寺本堂 12時〜
料金:無料
義士討ち入りそば 1杯250円(11時〜)
焼芋 1本100円(11時〜)