2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
忽那ロマン探訪クルージングで島を味わう
2013年10月5日「忽那ロマン探訪クルージング」は、雨の降るなか開催された。今回のクルージングは関係者含め約130名が参加。
松山観光港を出向して由利島へ向かい、島の歴史をガイドから聞きながら船上で島を探訪する。そのあとは、津和地と怒和の間と通って広島県の倉橋島・鹿島大橋を巡り、芋子瀬戸・睦月へと向かう。昼食後、興居島で愛媛県無形民俗文化財の「興居島 船踊り」を鑑賞し、最後に釣島で釣島灯台と旧官舎内部を見学するというコースと盛り沢山の内容となっている。
大小二つの島がつながっている島、由利島である。
東の大由利・西の小由利で「由利島」であるが、元々はもう少し大きな島で13世紀の地震で今のカタチになったそうだ。昭和30年初頭の島民は75人であったが、昭和35年は21人に、昭和40年にいた最後の6人は離島し無人島になる。
睦月島「海遊亭」の弁当は、サザエ・ひじきの和え物・カツオと玉ねぎの和え物・ナスの煮物・季節野菜の天ぷら・鳥の唐揚げ・コロッケ・漬物・紫蘇の実・鯛めしというラインナップ。
フェリーのなかでは、島の特産物が安価で販売されていた。
伝承によると興居島の船踊りは、伊予水軍が活躍した承平年間(931年〜938年)に戦いの後に凱旋した際、これを歓迎した戦勝の気に沸き返る島人に、戦いの模様を披露した武者踊りである。あとになり歌舞伎芝居が一般に広まった頃より現在の形になり、いつのまにか氏神様への奉納行事として取り入れられるようになったとされている。
最後の島、安居島では産直市が開催されていた。すべてが新鮮安価、あっという間に売切になっていた。