2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。
4年に一度の毘沙門天像開扉
4年毎に開催する「毘沙門天像の開扉」に初めて参加して来ました。毘沙門天像は、中島神浦地区にあります。
毘沙門堂を望む
自由奔放の枝ぶりが、島の自然の妙を思わせる
2013年8月22日〜24日の3日間では、念仏を唱えるだけでなく、仮装盆踊り、演芸大会、花火大会などあります。もちろんこのイベントの間も念仏と声とカネの音が止むことがありません。
2日目夜、演芸大会。
地元の子どもたちの歌「中島が好き」
皆さん趣向を凝らして楽しんでいました。
「念仏割当」という物があります。地区全体を15の地区と老人クラブに分け、それぞれのグループが念仏を唱えながらカネを鳴らし続けるというものです。このカネは3日間のうち4回(1回30分)の仏事の時だけ中断しますが、それ以外は真夜中でも朝でも一日中鳴らし続けるというものです。
この神妙で厳粛な念仏を唱えカネを鳴らすというこの地に伝わる儀式は、ここでしか見ることが出来ないもので、昔からの島生活の中で脈々と受け継がれ、文化的・歴史的な行事として大切に守ってきた事が分かりました。
私は、神浦の「農家民宿吉勝」さんへ宿泊。その吉勝さん宅から毘沙門堂へかね叩きに行きました。案外6人合わせるのが難しいのですが、念仏を聞くことでスピード調整が可能です。
神浦の夜空を花火が咲き開く一瞬、集落の屋根が光の反射で輝きます。
夕暮れになると、島の風景が一変します。
青い世界から、落ち着いた濃いグレーへと変わります。
島の色の変化を楽しむのも、島に泊まる醍醐味の一つですね。
島の向うに見える光は、松山
会場では、今晩夕方から始まる「演芸大会」の為に、皆さん準備中。
音響、照明、受付等など、とにかく全員で参加されているのが分かります。
毘沙門天の使者にムカデがいます。
昔、鞍馬寺(京都)では、お正月の初寅の縁日に実際に生きたムカデを販売し、漢方薬として使われていたそうです。この名残が、神社内のムカデの絵に残っていました。そもそも、何故ムカデなのでしょうか。本当のところ、確かな理由はわからないそうです。しかし、戦国時代、毘沙門天が武神・戦勝の神でありその使いとしてのムカデは一糸乱れることなく前進し、決して後退しないことから武具甲冑、旗物等に数多く用いられています。さらに、商人の間では、足の数が多いことから「おあしがつく」と言われこの場合のおあしとは、お金のおあしと掛け合わせることで商売繁盛に結びつけていました。また、細長い連なる鉱脈や鉱山の形がムカデの形に類似しているから、鍛冶師や鉱山師にも信仰されていたそうです。