• お問い合わせ
  • Facebook

2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。

|文化・歴史

知られざる弘法大師にまつわる昔話

愛媛県の四国霊場は25ヶ寺、うち松山市は46番から53番札所の8ヶ寺あり四国の市町村では最多です。
そして弘法大師にまつわるお堂や、昔話しなどが多くあります。松山八ヶ寺を巡りながら、寄り道出来るのも歩き遍路の面白さです。

ねじれ竹

第52番札所 龍雲山 護持院 太山寺の参道途中に、縄のようにねじれた約8mの青竹があります。かつて遍路宿で現在は茶屋を営む布袋氏宅にあり、その大きさに歴史を感じます。
昔、青竹で杖を作った男女のお遍路さんが、太山寺参道にある遍路宿(布袋屋)に泊まりました。金剛杖代わりとして持っていた青竹の杖を粗末に扱ったことで、2本の青竹の杖がねじれて絡み合いました。同宿にいた僧に「何か罪があるのではないか」と言われ、自分たちが主人の目を盗んだ不義の仲であることを話すと、「心新たにそれぞれに巡りなさい。そうすれば罪も許されるでしょう。」と諭されました。僧は後の戒めのためにねじれた二本の青竹の杖を庭にさし、「大師のお許しあれば根つき枝葉が生じて栄えん」と伝えました。
このような伝説が残るねじれ竹は大師の戒めを伝え、遍路の金剛杖に青竹を使用しなくなりました。金剛杖は弘法大師そのものとされており、この杖を持つことにより弘法大師と一緒であるということを意味し大切に扱います。

ねじれ竹

お塚さま

国道196号線から少し入った陸橋下にあり、「脚を守る」として崇拝をされています。
いつの頃よりか一基の塚があり「無縁亡魂回向塔」と刻まていて、戦国時代の合戦の亡魂を祀ったものかはわからないようです。幕末時代に両親の位牌を背に遍路していた人が、行き倒れ亡くなっていました。土地の人がお塚さまのもとに葬り、8月16日を縁日として盛大に祭りを行いました。その後、足なえの巡礼がここで参詣し祈ったところ、立ちどころに回復しました。それより脚を守る仏として多くの尊信を集め、今も多くの信者の参拝があります。
住所:愛媛県松山市鴨川1-6-43

お塚さま

片目鮒

城山の近くにある住宅敷地内に、片目鮒の井戸の伝説があります。
百姓が昼飯のおかずに近くの井戸にいる鮒でも焼いて食べようと、鮒を焼いていました。そこに通りかかった弘法大師は、焼かれながら鮒が暴れているのを見て「鮒を譲ってください」と頼みます。お百姓は「片目はもう焼かれているから、助かることはない」と返答するが、弘法大師は鮒を譲り受けます。譲り受けた鮒を井戸に投げ込み念仏を唱えると、生き返り水路で繋がっている紫井戸と行き来をしたと伝えられています。それ以来、この井戸の鮒は代々片目とのことです。

松山市出身の俳句 正岡子規が、「鮒鱠 鮒に片目の 由来あり」と詠んでいます。また伊予節の歌詞の1番にも、紫井戸と片目鮒が出てきます。

昔話

  伊予の松山 名物名所 三津の朝市
  道後の湯 おとに名高き五色ぞうめん
  十六日の初桜 吉田さし桃こかきつばた
  高井の里のていれぎや 紫井戸や
  片目鮒 うすずみ桜や 緋のかぶら
  ちょいと 伊予絣

【紫井戸】
水が常に紫色に見えていたという説、1日に水の色が7回も変わり紫色になった説、水質がよいので醤油を造ったことから醤油の呼び名である「むらさき」の井戸と呼ばれた説、と様々な説があります。
昭和の初め頃まで溢れるほど水量はあり、近くの片目鮒の井戸とも水路でつながっており、片目の鮒が行き来していたと伝えられています。今は両方とも水は涸れていますが、昔日の井戸は残っています。

杖ノ淵

弘法大師は大旱魃の村を救うために、寺の西南300m先で錫杖を突き水脈を見つけたという伝説があります。杖の淵の清水で、今も水は涸れた事がなく潤しています。
弘法大師が修行で村を訪れた時、大旱魃で村人が苦しんでいました。飲み水を求めたところ、遠く離れた泉から桶一杯の水を汲み差し出した老婆がいました。弘法大師は心を打たれ、杖を大地に突き立てると乾ききった大地から水が涌き出し泉となりました。その泉はどんな日照りの年でも涸れずに今もあり、それが「杖ノ淵」です。
現在、市民の憩いの場「杖ノ淵公園」として親しまれ、環境省の名水百選に選ばれています。

杖ノ淵

八ツ目のうなぎ

昔話

高井の里にいた目なしうなぎを、弘法大師が何回も唱えるうちに八眼になったという伝説があります。
1人の子どもが棒で泉の中にいるウナギを突いていたずらをしていたところ、通りかかった弘法大師がウナギを不憫に思い唱えました。ウナギの目は開いたのですが、いたずら好きな子どもは「目がまだあいとらんぞな」と言い、さらに唱えると4ツ目に。それでも子どもは目が開いてないと伝え、何回も唱えさせとうとう八ツ目になったということです。
現在、松山市中島の長善寺に「砂八ツ目」は生息し、松山市天然記念物に指定されています。
砂八ツ目は、魚類に近い円口類 八ツ目のうなぎ科の動物。全長10数cmの砂八ツ目は、一生淡水の河水中で生息します。現在その生息がほどんど見られなくなり貴重な種です。

大宝山 文殊院徳盛寺

遍路開祖とも言われる衛門三郎の邸宅跡に建てられた寺院で、弘法大師が衛門三郎の子どもの供養と共に悪因縁切の修法を行った寺です。本堂には弘法大師自身が刻んだ大師の姿と延命子育地蔵尊を祀っています。境内にはひときわ目にひく大きな修行大師の横に衛門三郎の夫婦石像が並び、大師堂には弘法大師と衛門三郎の出会いが記された巻物の一部が掛けられています。
かつては徳盛寺と呼ばれていましたが、弘法大師が文殊菩薩様に導かれて滞在された後、文殊院と改められました。
四国八十八ヶ所の他にも弘法大師のゆかりのあるお寺が多くあり、四国別格二十霊場といわれ文殊院もその1つです。四国八十八ヶ所に、四国別格二十霊場を合わせると108になり煩悩の数になります。

住所:愛媛県松山市恵原町308
電話番号:089-963-1960
HP:http://monjyuin.com

大宝山 文殊院徳盛寺

八ツ塚群集古墳群

大宝山 文殊院徳盛寺から北西にある八ツ塚群集古墳群は、衛門三郎の8人の子どもたちの墓であると言われています。各塚の頂きには、小祠が置かれ石地蔵が祀られています。
松山平野の南丘陵部には多くの古墳群があり、八ツ塚は東方の平野部に位置する8基の群集古墳です。古墳時代末期の円墳と方墳と推定されていますが、後世の開発等により変形。直径約7m・14mの円墳と、1辺10mをやや超える程度の方墳が半数ずつあり、未調査のため明確ではないが横穴式石室と推察されています。
住所:愛媛県松山市恵原町

八ツ塚群集古墳群

網かけ石

三坂峠への遍路道の入口にあり、弘法大師が網に入れて天秤棒で担いだと伝わる大石で表面に編目が付いています。高さ2m余り・周囲6mの巨石で、お遍路さんの多くは石の割れ目に納札を挟み込んだり賽銭をおいています。
通行の妨げになり村人が困っていた大きな2つの石を、弘法大師が大きな石を網に入れてオウク(担い棒)で担っていたところ、榎まで来た所でオウクが折れて山へ飛んで行きました。折れたオウクが山に飛んで行き、落ちた所をオオクボ(松山市久谷町大久保)というようになりました。石の1つは下の御坂川に落ち、もう1つは今の所にある石で、石には編み目模様があり網を被せた石から「網かけ石」と呼ばれるようになりました。鯨の頭にも似ていることから、鯨石とも呼ばれれています。

網かけ石

昔話

一覧に戻る