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2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。

|文化・歴史

四国霊場第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺

四国遍路発祥の伝説が伝わる第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺は、通称「お大師さん」として親しまれ参拝者が絶えません。山頂にそびえ立つ弘法大師像の党光寺山と愛宕山のふもとに位置し、中世の境内は現在の数倍の広さがあり、湯築城東北の切抜門が石手寺の西門であったと言われています。

石手寺

石手寺

戦火や兵火により四国の寺社の多くがかつての様相を失っている中、石手寺も1566年に戦火を被るが主要な建造物は無事でした。中世の堂塔など数多く残り古来の姿を今に伝え、その多くが重要文化財指定建造物を有する古刹です。
石手寺の縁起は728年に聖武天皇の勅願により、伊予の国主・越智玉純が鎮護国家の道場として伽藍を創建。翌年に行基菩薩が薬師如来像を刻んで本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称しました。813年に空海が真言宗に改め、892年に石手寺と改称。

石手寺

寺号の起こりである衛門三郎再来の説話は有名で、四国遍路発祥とも深い関係があります。
伊予の国浮穴群荏原の郷の領主・強欲非道な衛門三郎の家に、みすぼらしい旅の僧侶が訪ねて一夜の宿を乞いますが、三郎は突きとばし僧の持つ鉄鉢が8つに割れます。そのあと次々と三郎の子どもが死に、あの時の僧侶が弘法大師であったことに気付き弘法大師を追いかけますが、四国を20周しても会えず逆順の21周目で病に倒れます。死する前に大師に会え「来世は国司の家に生まれたい」という三郎の言葉に、大師は「衛門三郎再来」と書いた石を左手に握らせました。その翌年、河野息利の家に生まれた男の子の左手が開かず、安養寺住職が祈祷すると「衛門三郎再来」と書かれた小石を握っていました。その男の子が河野息万であり、衛門三郎の生まれ変わりといわれています。この小石は今の寺宝として残り、寺号を「石手寺」と改称します。これが衛門三郎再来の説話です。境内入口には、正座をした衛門三郎の石像があります。

石手寺

石畳の参道には仲見世が並び、お遍路さんの接待から始まった「やきもち」をはじめ土産屋が並び本堂へと誘います。その先にある立派な構えの二王門は、1318年に河野通継によって建てられたとされ1952年に国宝に指定。日本最古の建築様式のみの純和風の楼門であり、屋根は入母屋造で本瓦葺です。山間一戸の両脇には運慶一門作と伝わる県指定文化財の金剛力士像を安置し、健康健脚になると言われる約3mの大わらじは4年に1度掛け替えます。

石手寺

石手寺

二王門くぐると正面に重要文化財の本堂、美しい三重塔・護摩堂・愛媛県最古の銅鐘がある鐘楼・訶梨帝母天堂など多くの建造物があります。本堂は二王門とほぼ同じ時期の建築であり、入母屋造・二軒・本瓦葺などの様式は和様で柱は全て円柱です。

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

本堂の右横に大師堂・絵馬堂、その奥に熊野十二社権現があります。熊野十二社権現は、熊野地方にある熊野三山に祀られている12柱の神を分霊して祀ったものです。越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、熊野12社権現を祀ったという寺伝があります。

石手寺

石手寺

石手寺

大師堂右側にある子授け・安産の神様を祀る訶梨帝母天堂(かりておいもてんどう)は、別名鬼子母神ともいい熊野十二社権現の遺構の1つです。ここの石を持ち帰って祈り、無事に出産した時に持ち帰った石と新しい石を持参してお礼参りする風習があります。

石手寺

石手寺

本堂の左側には洞窟・都卒天洞があり、八十八ヶ所霊場と四十九修行場です。洞窟は、石手寺の裏手と大師堂の裏手の2通りに抜け、石手寺の裏手にあるマントラ塔に続きます。
マントラ塔は、金剛界・胎蔵界のマントラを表現。閻魔大王が描かれた門をくぐり庭園を進むと、金色のマントラ塔があります。木彫りの仏像が並び、巨大な釈迦など不思議で静寂な雰囲気の石手寺 奥の院です。

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

二王門をくぐった右手にそびえる美しい三重塔は、鎌倉時代の塔に多く用いられた手法で三間三重の塔です。壁の前面に須弥壇を置いて釈迦三尊の像を祀り、三重塔周りには八十八カ所霊場と高野山金剛峯寺境内の砂の袋を触る「四国霊場八十八ヶ所お砂撫で」ができます。

石手寺

石手寺

境内の奥の方にある宝物館は、絹本仏涅槃図・弘法大師御真筆・木造菩薩面など石手寺の歴史を知る上で貴重なものです。道後の湯が聞こえる「湯音石」や瀬戸内の潮の干潮がわかる「水天」など、境内には数々の建造物や堂塔などがあり文化財の宝庫ともいえます。

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

境内から出土された瓦により、前身は680年ごろ奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建てられた考証もある石手寺。鎌倉時代の荘厳な堂塔、風情溢れる境内は、温かく多くの参拝者を迎えてきました。その中で生まれた石手寺の七不思議。橋の裏側に観音様の絵や写経が描かれているため、この橋を渡ると足を痛めると言われている「弘法大師お道開きの橋」、足腰の病気が治るという「二王門大草履」、悪いところが治るという「香炉」など、言い伝えられた伝説が多くあります。

石手寺

石手寺

石手寺

また石手寺は真言宗曼荼羅形式であり、鎌倉期の国宝重文が継承され仏様の世界を現出しています。三重塔の釈迦如来文殊菩薩を中心に左回りすると心が安らかになり、右回りすると人の痛みがわかるとされています。こころ静かに手を合わせ仏様と一緒にお参りする・・・自分自身の心が清らかになり、優しくてあたたかい心が蘇ってくるのです。

石手寺

石手寺

石手寺

石手寺

第43代目加藤俊生(しゅんそう)住職は、15歳頃に僧の路に進むことを決意、京都大学仏教学専攻卒業し2004年から住職となる。加藤家の長男として生まれ、世襲という意識が生まれるのは自然のことだろう。しかし多くの弟子がいる中で重圧などを感じながら選んだ路、そこには「人を助けたい」という強い信念があったからなのかもしれない。

石手寺

人を助けたいという想いは、どこからでも入れる石手寺からも感じとれます。困った時にこっそり参拝できるなど、駆け込みの場所として存在しているのです。「同行二人」という弘法大師のことばのように、人は1人ではなくお大師さんと一緒なのです。それが四国であり、石手寺なのです。
他にも東日本大震災の被災地や難民キャンプ訪問、また追悼と平和の祈りなど様々な活動をされています。「自分に痛みがあるように他人にも痛みがあることを知り、自分の出来ることをする。仏様は、この世で苦しんでいたらどの人であっても全てを救い見捨てない。」と話します。

石手寺

石手寺

多くのお遍路さんが訪れる石手寺。「四国に出る時は、名刺と時計を持ってはいけない。それは名誉・地位や家族などのあらゆるしがらみから解放され、自由になって巡るのが四国遍路である」とある方が言った話です。四国遍路は「どうしようもなくなった」人々が、最後にたどり着いた場所ではないかと俊生さんは言います。石手寺に伝わる衛門三郎ように、絶望に立たされた者が明日への希望を求めて四国遍路に旅立つのかもしれません。道中、温かい人の心に触れ、自然の厳しさ美しさに触れ、「自分」に戻っていくのです。そのような様々な人を四国霊場八十八ヶ所は受け入れ、地元のふるさとの場所また憩いの場所である石手寺もその1つなのです。石手寺の広大な境内で、優しく迎え入れてくれるでしょう。

石手寺

石手寺

四国霊場第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺
住所:愛媛県松山市石手2-9-21
TEL:089-977-0870
駐車場:無料、民営駐車場4ヶ所・有料(普通200台・マイクロバス、大型50台)
宿坊:なし
URL:http://nehan.net/

宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
開基:行基菩薩
創建:天平元年(729)
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

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