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2012年8月〜2015年6月の約3年間「瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクト」で、取材撮影をした編集部によるレポートです。
事業期間終了と共に運営変更に伴い、「瀬戸内・松山 しまめぐり」の事業では更新することはありませんので、ご了承いただきますようお願いします。

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30年ぶりに復活した盆踊りとは・・・

旧北条市から北北西13.5㎞に位置する安居島は、広島県と愛媛県のほぼ中央に位置し、昔から「潮待ちの島」として呼ばれ、多くの船の行き来で栄えていたそうです。
その安居島で途絶えていた盆踊りが30年ぶりに復活すると言うので島に渡りました。

安居島盆踊り

そもそも、安居島の盆踊りとはどのようなものだったのでしょうか。
その昔、岩城(いわぎ)島の漁師が島の広場に集まり祖先の供養を岩城音頭で踊ったのが始まりとされています。その後、広島県の斎(いつき)島や豊島の住民が縁組で定住すると、豊島踊りも流行り大いに賑わっていました。島の元老格と賄い(まかない)役はこの踊りの一切の権限を持ち、特別の席に座り、島外の人を「よそ者踊り」と称するなど、厳重な風習を伝えていたそうです。(北条市合併記念誌2004「飛」より)

それから、「安居島の盆踊り」は先祖供養として毎年8月に行われていました。昭和51年(1976)旧北条市の無形文化財に認定されたのですが、高齢化と過疎化で平成16年(2004)指定解除になり、いつしか踊りも開催されなくなってしまいました。

安居島盆踊り

現代の盆踊りは、娯楽的要素の強いどちらかというと楽しいとさえ言える踊りになっています。しかし、そもそも盆踊りとは、お盆前後に地域の老若男女が集まって、年に一度この世に戻ってくる霊を迎え・送るためのもの。今回、安居島で出会った歌はその原点とも言える様式を残しているものでした。

島で歌われる盆歌は、生活の中で伝承されてきた遊女みどりの悲恋物語をリアルに語っていく「語り部」としての役割を果たしていたのだと思います。それは、年に一度お盆の季節に、先祖の慰霊と島で亡くなった人々への想いを大切に敬う島民の優しさが「遊女みどり」の話として口から口へ伝えられ、今も残る「みどりの墓」として引き継がれてきたのだと言うことができるでしょう。

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

安居島盆踊り

逸話「みどりの墓」
江戸末期から大正にかけてこの島を別名「逢島」とも「愛島」ともいわれたほど、伊予の三大遊郭の一つとして、たいそうにぎわいました。そのような風土のなか、遊女みどりは千石船の男と恋仲になり、毎日、沖を見つめ船が来るたびに男を探しましたが、二度と会うことがありませんでした。やがて、叶わぬ恋と知ったみどりは海に身を投げてしまいました。遺体は東の岩場に打ち寄せられ、その岩を誰言うともなく「みどり石」と呼ぶようになったと言うものです。
船着場からまっすぐの中腹にある墓地の中に「俗名みどり 天保二年卯年六月二日」と刻まれた小さな地蔵があります。

安居島盆踊り

盆踊りの写真は、瀬戸内・松山食べ巡りプロジェクトのFBでもご覧いただけます。


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